カモメに飛ぶことを教えた猫

ここのところ、仕事やこれからのことなど、

自分の行き先、考えてばかりでうつうつとしている。

こういう引きこもりの時にこそと、ためていた本を読んだりしている。

仕事でやらねばならない作業はあるんだけれども、どうも進まない。

 

正月真っ最中に急かされてやった作業は、もう忘れ去られているようだ。

喉元過ぎれば熱さを忘れるということです。

もう、やった本人も忘れかけてるくらい時間が経ったし。気づけば6月。

最終的にデータを提出しないと完了でないから、お金はまだもらえない。

あとはデータ変換だけだから簡単でしょと。それが、なかなか進まない。

 

簡単ってなんだろう。そんなに簡単ならば、わざわざ他の人に頼むだろうか。

仕事を頼まれるときに「簡単でいいから」「ラフでいいから」

「時間ある時にやって」「ちょっと考えてみて」

と言われた場合、非常に不快になって投げ出したくなる。

 

もしかして、そんなに負担じゃないよという配慮のある発言でしょうか? 

私には、お金はあまりあげられないけれど、とにかくやっとけよ、みたいな

人をばかにしたようなニュアンスに感じてしまう。

こういう精神状態のときは特に、マイナスに思ってしまうのかもしれないが。。。

だって20年近くやってはじめて時間短縮で出来た事もたくさんあるし。

「これを1時間でできるようになるために、20年かかったよ」

と、いつかそういう場面で伝えられたらと思う。

頭の回転が遅いため、咄嗟にこういう言葉が出ない、だからダメなのかな。

 

あとこういう場合「お前の営業になるだろうから無償ね」というニュアンスの

場合すらある。例えば案を提出して「ありがとね」すら言われなくて、

数ヶ月後こっちがしびれを切らして「あれ、どうなりましたかね?」と聞くと

「あーあの仕事?なくなったわー」で終わり。

ひどい時は、ええとこっちで直してからお客さんとアレして云々、、、

こちらは1円たりとももらっていないのに、

あなたのは的を得てないのでダメでしたみたいな言われよう。

ベースが無いと検討できないとして、そのベースをまず書いたつもり。

提出したモノしか見ない浅い考えが横行していないだろうか。

 

そういえば、以前の東京五輪のスタジアム問題でも思った。

設計段階というのは、これからいかようにでも変化できる余地があるのに

はいここはダメ〜!みたく踵を返すのって、本当に本質をわかってないと思った。

それまでの検討も含めて全て「悪」に変える瞬間を見た感じ。

設計をやっている人で、あれを悲しい気持ちで見ている人は多いと思う。

あるサイトで図面まで公開されてたから見たけれど、

ものすごい検討が進んでいた。あれですべて白紙にされて、

そこまでの設計料をもらうことが「悪」とされるのならば、終わってると。

「えー基本設計で、もうこんなに支払っているの?」と堂々と述べる

コメンテーターが映し出されていたから。

ただ単純に「こんなかたちがいいな〜」では予想図なんてできないのに。

客席ひとつ、部材ひとつの大きさまでつぶさに想定していないとできない。

そしてその想定は、細かい検討の積み重ねの連続でしか、あり得ない。

しかもデザインには、構造的・設備的な視点からの検討が膨大に含まれている。

膨大な時間がきっとかかっていただろうなと思って、なんか見てて切なくなった。

マスコミの人たちは、こーんな感じは?ってなんとなくしゃべりながら

絵コンテを書く作業くらいを想像していたから、

ばっさりこう言うコメントを流したのかもしれない。

 

自分の経験だと、前に案を出した仕事がなくなったと聞いていて、

しばらく経ったら改装はしたみたいで、店主自らのデザインです!みたく

堂々と私のパースに似たインテリアがHPにのってたこともあった。

(執念深いから一生忘れない)

人の案を参考にやるのはよくあるから、まあいいんだけど、

参考にしたからありがとねーぐらい、きちんと本人に言ってもらえたら。

報酬よりも何かしらの感謝の意みたいのを、自分は求めるほうなのかもしれない。

 

その反面、自分がひとに感謝の意をたくさん伝えているだろうか。

もしや自分がそれをうまくできていないから、自己投影して

なおさら腹が立つのかもしれないとも思う。

 

それにしても、考えることやアイディアに対価がなければ、趣味の世界と同じ。

趣味の世界だったら、お前には絶対見せないわ!という人たちとばかり

仕事をしているから、きっとさらに悲しくなるんだろうなと思う。

 

だからやっぱり、好きなことや自分のことをよくわかっている人と

仕事をしていけたら一番幸せなんじゃないかと思う。

それもこれも自分がまず動いて、そうしていかなければならない。

これからはそうできるように頑張りたい。

 

池田晶子さんの哲学の本、ぜんぶ読破しようと読んでいるけれど

まだまだ途中。池田さんが亡くなってからの、新参者だし。

古本に本を売っぱらった時期も、これらは残しておいたのはよかった。

池田さんの本の解説を書いていた若松英輔さんも好き。

最近たくさん書籍出したり活動されていて、よく見ていて。

池田さんは亡くなっているけれど、若松さんのおかげで

なんかまだまだ出版が続いているような気が勝手にする。

書くことや話すことに上手下手もないのだ、みたいな思考も好きだ。

だからこうしてブログをはじめて続ける気持ちになったから。

 

それで、途中でふと、もう一度これを読んでみようと思いたったのが

「カモメに飛ぶことを教えた猫」というルイス・セブルベダという

方の翻訳本。訳は河野万里子さんという方の。

大学を卒業する時に、大好きだった退職間際な建築の先生が

みんなに一冊づつ配ってくれた本です。

すぐに一度読んだが、いま読んでみたらまた違うのでは?と。

 

「飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、

全力で挑戦したときだけだ、ということ」

最後にこう言う場面がある。

これが、”いちばん大切なこと”だった、という物語。

休むことなく、するりと最後まで読めた。

 

わたしはまだ”いちばん大切なこと”いちどもできていないなぁと感じた。

この物語では、カモメのお母さんが死の間際、卵を猫に託すのだけれど

そうやって命がけで人と接したことも、わたしはないわ。逃げてばかり。

仕事の図面作成などは締め切りまで徹夜してしつこくやるけれども、

命がけでやる気持ちではない。何のためかというとよくわからない。

締め切り遅れるし。人と命がけで接していたらまず締め切り遅れないだろう。

だからすくなくとも人のためではない気がするし。。。

いやはやずいぶんと適当に人生を歩んできたもんだなぁと思ってしまった。

これから誰かを傷つけたとばっちりすら、受ける恐れもある。

いまひとりぼっちなのは、すでにそういうことかもしれない。

 

先生からこの本と一緒に、一言づつメッセージが書かれていた。

わたしのにはこう書いてあったんです。

「感性・勘のよさ 見ほれます。その内側を充実すると 一段とよくなります。」

いまごろ読み返して考えているのも、めちゃくちゃのろまだなと思うが、

このものすごーく素敵なメッセージを無駄にしないようにしたい!!

大好きな先生に「見ほれます」と、せっかく、書いてもらったのに。。。

内側を充実するように、というのはとても的を得ている。さすが過ぎる。。。

あの頃から全力で挑戦して内側を充実していたら、

こんなに仕事でも悩んでいなかっただろう。

技術だけは、あの頃よりも少しは充実したような気もするけれど、

ここでいう「内側」ってこころのほうも含まれていると思うんだよな。

だから全くもってわたしは大学時代から進歩していないのであった。。。

 

きょうは、もう少し頑張ろうと心から思った。

まずは少し気持ちとやる気を前向きに、していかないとならないです。